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HDDがクイックフォーマットできない??? [PC]
備忘録として。理由は良く判っていないので、情報量は少ないのですが...
自作PCに2.0TBのHDDを増設し、フォーマットしようとしたところ、QUICK FORMATに失敗し、デバイス・マネージャーから消える。という不安定な動作を繰り返しました。
出来るだけ、コンピュータの状態をシンプルにしようと、GPTでフォーマットしていた2.5TBのHDDを取り外して作業したところ、全く問題なくフォーマット完了。
どうも、自作のAMD SB780のコンピュータに、2.0TBを超えるHDDを接続してから、ハードディスク周りが不安定です。
自作PCに2.0TBのHDDを増設し、フォーマットしようとしたところ、QUICK FORMATに失敗し、デバイス・マネージャーから消える。という不安定な動作を繰り返しました。
出来るだけ、コンピュータの状態をシンプルにしようと、GPTでフォーマットしていた2.5TBのHDDを取り外して作業したところ、全く問題なくフォーマット完了。
どうも、自作のAMD SB780のコンピュータに、2.0TBを超えるHDDを接続してから、ハードディスク周りが不安定です。
阪神淡路大震災から17年。 [DIARY]
震災当事、私は関西で学生をしていたので、震災の体験者です。それほど、大きな被害があったわけではありませんが。
地震の当日は、早朝まで大学で作業をしていて、地震発生の数十分前に下宿の安アパートに帰宅したところを、震災に襲われました。私が住んでいたのは大阪の北西部で、兵庫県との県境にも近いところ。大阪府内では唯一、災害区域に指定された地域です。神戸の大惨事ほどではありませんが、室内の家具は殆どひっくり返りました。倒れた本棚がベッドを直撃していましたし、怪我をしなかったのは、本当に運が良かったと思います。錯覚かもしれませんが、建物が歪むように揺れるのをスローモーションの様な感じで知覚していました。
その時、私が必死でやったのは、スタンドからスピーカーを無事に降ろす事でした。オーディオラックは、直前に低く組み直していたので奇跡的に無事。
地震直後に停電。直ぐに実家に電話して早朝にたたき起こされ、事態の判っていない両親に無事を伝えましたが、すぐに電話も繋がらなくなりました。
TVもひっくり返ってしまい、アンテナケーブルが抜けてしまいました。今の様な携帯電話によるネットワークも一般的では無い時代。震災直後は、外部から情報が入ってこなかったので、震源地も地震規模も判りませんでした。死者数について等、まったく想像もできず、荷物などの下敷きになった人が数人程度… くらいに考えていました。
余震が怖いので、朝方まで外で過ごしました。古いアパートで風呂の種火が外にあるタイプの設備なので、火災を恐れてアパート中の種火を消したり、殆ど面識のない両隣の部屋の住人に声をかけたり。自然と近くの空き地に人が集まり、当時の掛り付けのお医者さんと話をしながら、日が昇り、停電が回復するのを待っていました。
その後、疲労もあり、TVをなおす気力も、大学に出かける気力も無く、研究室に無事を連絡し夕方まで横になっていました。夕刊で初めて震源地等の情報を知りました。死者の数(夕刊で1000、夕方のTVニュースで2000)には驚くと同時に恐怖を感じました。最終的な被害者数は、皆さん、ご存知のとおりです。
政府の災害対応や危機管理能力は、当時手に入れられた情報だけで考えてもお粗末なものでした。あの火災の状況をみると、災害直後に自衛隊が出動していたら。と、思わずには居られません。(勿論、彼らも全能ではないので、全ての状況を改善出来たわけではないでしょうが)
当時の私の通学路は国道171号線という道路で、私は原付を利用して移動していました。これは、京都~大阪北部~兵庫県につながる道路です。震災後も適切な交通規制がなされてない為、震災後の神戸市内に物資を送るトラックと、物見遊山で兵庫に向かう“ばか者達”のせいで、暫くの間、大変な渋滞が続いていました。然るべき交通規制が入ったのは、1週間以上経ってからでした。
震災の割と直後、用事があって、数日間、関西からは離れた実家に帰っています。それまで非常に生々しい震災の体験が、離れた土地でテレビの画面を通すと、映画の1シーンの様な他人事に見えてしまった事に、我ながら驚きました。当時、関西圏から離れた土地に住んでいた人の感覚は、そういったものかもしれませんし、それは人の心理として仕方の無いことだと思います。
地震の当日は、早朝まで大学で作業をしていて、地震発生の数十分前に下宿の安アパートに帰宅したところを、震災に襲われました。私が住んでいたのは大阪の北西部で、兵庫県との県境にも近いところ。大阪府内では唯一、災害区域に指定された地域です。神戸の大惨事ほどではありませんが、室内の家具は殆どひっくり返りました。倒れた本棚がベッドを直撃していましたし、怪我をしなかったのは、本当に運が良かったと思います。錯覚かもしれませんが、建物が歪むように揺れるのをスローモーションの様な感じで知覚していました。
その時、私が必死でやったのは、スタンドからスピーカーを無事に降ろす事でした。オーディオラックは、直前に低く組み直していたので奇跡的に無事。
地震直後に停電。直ぐに実家に電話して早朝にたたき起こされ、事態の判っていない両親に無事を伝えましたが、すぐに電話も繋がらなくなりました。
TVもひっくり返ってしまい、アンテナケーブルが抜けてしまいました。今の様な携帯電話によるネットワークも一般的では無い時代。震災直後は、外部から情報が入ってこなかったので、震源地も地震規模も判りませんでした。死者数について等、まったく想像もできず、荷物などの下敷きになった人が数人程度… くらいに考えていました。
余震が怖いので、朝方まで外で過ごしました。古いアパートで風呂の種火が外にあるタイプの設備なので、火災を恐れてアパート中の種火を消したり、殆ど面識のない両隣の部屋の住人に声をかけたり。自然と近くの空き地に人が集まり、当時の掛り付けのお医者さんと話をしながら、日が昇り、停電が回復するのを待っていました。
その後、疲労もあり、TVをなおす気力も、大学に出かける気力も無く、研究室に無事を連絡し夕方まで横になっていました。夕刊で初めて震源地等の情報を知りました。死者の数(夕刊で1000、夕方のTVニュースで2000)には驚くと同時に恐怖を感じました。最終的な被害者数は、皆さん、ご存知のとおりです。
政府の災害対応や危機管理能力は、当時手に入れられた情報だけで考えてもお粗末なものでした。あの火災の状況をみると、災害直後に自衛隊が出動していたら。と、思わずには居られません。(勿論、彼らも全能ではないので、全ての状況を改善出来たわけではないでしょうが)
当時の私の通学路は国道171号線という道路で、私は原付を利用して移動していました。これは、京都~大阪北部~兵庫県につながる道路です。震災後も適切な交通規制がなされてない為、震災後の神戸市内に物資を送るトラックと、物見遊山で兵庫に向かう“ばか者達”のせいで、暫くの間、大変な渋滞が続いていました。然るべき交通規制が入ったのは、1週間以上経ってからでした。
震災の割と直後、用事があって、数日間、関西からは離れた実家に帰っています。それまで非常に生々しい震災の体験が、離れた土地でテレビの画面を通すと、映画の1シーンの様な他人事に見えてしまった事に、我ながら驚きました。当時、関西圏から離れた土地に住んでいた人の感覚は、そういったものかもしれませんし、それは人の心理として仕方の無いことだと思います。
タグ:阪神淡路大震災
キッチンでベーコン作り [GOURMET]
最近、ベーコン作りに凝ってます。
アウトドア派ではないので、基本方針として、燻製鍋と自宅のキッチンのガスコンロで出来る事を目標にしています。私が使用しているのは、Zwillingのスモーカーセット。多少高いですが、使い込んでいくと価値があるのがわかります。創りが正確なので、煙の漏れが少なく、キッチンでのスモーキングに適しています。
まずは仕込み。
豚ばら肉をソミュール液に漬け込みます。私のソミュール液の作りかたは、塩分15%、香辛料にホールの胡椒10粒程度、庭で増殖しているローズマリーを10cm程度を10分ほど煮込み、冷えるまで待ちます。香辛料はお好みで色々試すと面白いでしょう。
容器に入れて、冷蔵庫で一週間程保存します。今回はプラスチックの容器を使いましたが、ビニール袋を利用して、ソミュール液の量を節約するなどの方法があります。1日に1回、肉の向きを変えたりして、均一にソミュール液と接するようにしましょう。
塩漬け期間は1週間程度必要なので、私の場合は週末に仕込みをして、次の週末に燻製するようなスケジュールです。
一週間経ったら、水につけて塩抜きします。およそ3時間程度必要です。定期的に水を交換して塩分が速く抜けるようにします。肉を5mmくらい切ってフライパンで焼き、塩気が適当になったら、完了です。冬はぬるま湯程度の温度にすると早めに塩分が抜けるでしょう。
次は燻製前にしっかり乾燥させます。サーキュレーターで風をあてるとか、日陰で干すとか、色々な方法があります。
今回は初めて、燻製作りでも有効というピチットシートを利用してみました。浸透圧を利用して水分を吸い取るのだそうです。ぴったり巻いて、セロハンテープで固定して密着させます。
冷蔵庫で一晩寝かしました。表面の水分は綺麗に取れています。ピチットシートが水分を吸い取って、シートに重量感が出ています。少々高いですが、これは良い買い物でした。この時点での肉の重量は750gでした。
Zwillingのスモーカーセットにセットします。Zwillingのスモーカーセットはウッドチップの上に油を受け止める為の皿が付いているので、肉を丸めて、皿の中に納まるようにしました。油がチップにかかって、嫌な臭いの原因になったり、煙の量が少なくなるのを防ぐ為です。他の燻製鍋を使うときは、煙の出るのを防がない程度に、ウッドチップの上にアルミホイルなどでカバーをつけると良いかもしれません。ウッドチップは一般的なサクラを使っています。
加熱時間は1時間半程度。ガスコンロの火力が5段階調整になっているので、火力は最小を選びました。火を止めても余熱でスモークされているので、30分くらいそのままにして、なじませます。
これで完成。
美味しくできました。完成重量は500g。水分や油が飛ぶ分、750gの肉がそこまで目減りします。専門店で売られているベーコンが高価なのはわかりますね。



アウトドア派ではないので、基本方針として、燻製鍋と自宅のキッチンのガスコンロで出来る事を目標にしています。私が使用しているのは、Zwillingのスモーカーセット。多少高いですが、使い込んでいくと価値があるのがわかります。創りが正確なので、煙の漏れが少なく、キッチンでのスモーキングに適しています。
まずは仕込み。
豚ばら肉をソミュール液に漬け込みます。私のソミュール液の作りかたは、塩分15%、香辛料にホールの胡椒10粒程度、庭で増殖しているローズマリーを10cm程度を10分ほど煮込み、冷えるまで待ちます。香辛料はお好みで色々試すと面白いでしょう。
容器に入れて、冷蔵庫で一週間程保存します。今回はプラスチックの容器を使いましたが、ビニール袋を利用して、ソミュール液の量を節約するなどの方法があります。1日に1回、肉の向きを変えたりして、均一にソミュール液と接するようにしましょう。
塩漬け期間は1週間程度必要なので、私の場合は週末に仕込みをして、次の週末に燻製するようなスケジュールです。
一週間経ったら、水につけて塩抜きします。およそ3時間程度必要です。定期的に水を交換して塩分が速く抜けるようにします。肉を5mmくらい切ってフライパンで焼き、塩気が適当になったら、完了です。冬はぬるま湯程度の温度にすると早めに塩分が抜けるでしょう。
次は燻製前にしっかり乾燥させます。サーキュレーターで風をあてるとか、日陰で干すとか、色々な方法があります。
今回は初めて、燻製作りでも有効というピチットシートを利用してみました。浸透圧を利用して水分を吸い取るのだそうです。ぴったり巻いて、セロハンテープで固定して密着させます。
冷蔵庫で一晩寝かしました。表面の水分は綺麗に取れています。ピチットシートが水分を吸い取って、シートに重量感が出ています。少々高いですが、これは良い買い物でした。この時点での肉の重量は750gでした。
Zwillingのスモーカーセットにセットします。Zwillingのスモーカーセットはウッドチップの上に油を受け止める為の皿が付いているので、肉を丸めて、皿の中に納まるようにしました。油がチップにかかって、嫌な臭いの原因になったり、煙の量が少なくなるのを防ぐ為です。他の燻製鍋を使うときは、煙の出るのを防がない程度に、ウッドチップの上にアルミホイルなどでカバーをつけると良いかもしれません。ウッドチップは一般的なサクラを使っています。
加熱時間は1時間半程度。ガスコンロの火力が5段階調整になっているので、火力は最小を選びました。火を止めても余熱でスモークされているので、30分くらいそのままにして、なじませます。
これで完成。
美味しくできました。完成重量は500g。水分や油が飛ぶ分、750gの肉がそこまで目減りします。専門店で売られているベーコンが高価なのはわかりますね。

Zwilling ツインスペシャルズ スモーカーセット 28cm 40990-001
- 出版社/メーカー: Zwilling J.A. Henckels
- メディア: ホーム&キッチン

燻製作り入門―おいしいスモークを楽しむレシピ&ハウツー集 (アウトドア選書)
- 作者: 片山 三彦
- 出版社/メーカー: 地球丸
- 発売日: 2002/12
- メディア: 大型本

キッチンでもできる簡単!燻製づくり50―薫りをつける!だから、うまい!!
- 作者: 太田 潤
- 出版社/メーカー: 大泉書店
- 発売日: 2007/03/22
- メディア: 単行本
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